ネガティブと自己肯定感の上げ方

私生活

こんにちは、きのです。

突然ですが、皆さんってポジティブな方ですか?ネガティブな方ですか?

ちなみに私は、めちゃくちゃネガティブです。

とにかくいつも、他人の目が気になります。小学校の高学年ぐらいで、外出する時に「今の自分の服装は変じゃないかな?周りに笑われてないかな?」と思い出してから、本格的にそういう性質になったと自覚しています。

例えば、自分が一人で歩いていて、近くの集団がなんかおかしそうにクスクス笑っていると、それだけで胸がドキドキして不安になります。あの人たちは今、自分のことを見て笑っているのかもしれない、なんて思ってしまいます。多分そういう感覚って、ほとんどの人が経験したことあると思うんですけど、どうなんでしょうか。

多分、そういう風に周りの目を気にしてしまう理由は「自分に自信がないから」ということが、一番大きいのではないのかな、と思います。

でも「自分に自信をつける」…所謂、自己肯定感というやつって、どうやって自分の中で育てていけばいいんだろうか。

やっぱり自己肯定感をアゲにアゲして肩で風切って歩いて生きていきたいから、自己肯定感を高める方法とかを調べてはみるんですけど、なんかこう「自分を丸ごと受け止めてあげて」とか「自分は今のままで完璧なんだ、と思う」とか、最初から挑戦レベルマックスなことしか書いてなくて、結構難しい。

そもそもの「自分は今のままで完璧なんだ、と思う」ことが出来ないので、ネガティブだったり自己肯定感が低くなってるわけだから、そうなるための“手段”を知りたいのに“結果”だけ言われてもどうしたらいいか分からない。

インターネットとかでそういう風に発信している人らって、顔可愛かったり金持ってたりいい仕事してたり、自分に自信を持つに値する理由を持っていることが多いよね。そういう人らに「ありのままの自分を受けれて!」と言われても、そりゃお前は受け入れられるだろうさ、とひねくれてしまう。

こうやってひねくれてしまうことも、自己肯定感が低いことが原因なんだろうか。自分に自信がなくて、誇れるものがないから周囲に噛みついている。でもなんか、これって凄い我が儘な感じもする。要するに僻みというか、恨みつらみ嫉み的な。ここにきて「ネガティブな上に性格も悪いんですの!?」と自分への嫌悪感ヤバすぎお嬢様になってしまう。

自分の自信をつけるには、やっぱり何か努力した方がいいんだろうな、と思う。努力して何かしらの結果を得られることが出来れば「自分はここまでやって、こうなったんだ!」という、経験に基づく自信がつく。

しかし「努力が出来る」ということも、やっぱり才能なんだよな。叶うか分からない目標に向けて時間と労力をつぎ込むことは、怖い。叶わなかったとき、その全てに意味がなかったように思えてしまうからだ。努力した、という経験は確かに残るけど、同時に「でも叶わなかった」という経験もついてきてしまう。

ここまでつらつらと話してきて感じることは「自分は全体的に言い訳がましい」ということだ。自己肯定感を上げる為には、何かに必死に取り組んだり努力をしたりして、達成感や満足感や経験を得て、自分の自信をつける必要がある。だというのに、うだうだと言い訳をして努力をしないでいる理由を探している。

「どうせやっても意味がない」

そんな無力感を自分で自分に与えてしまっている。そうしてしまうのは、きっと傷付くことが怖いからだ。

多分だけど、ネガティブな人や自己肯定感の低い人だって、誰しも最初からそうだったわけではないと思う。きっと、努力の経験だってみんなそれなりにあるはずだ。でも、努力の経験と一緒に、それが実らなかった無力感も味わっているのだろうと思う。

だから、もうこれ以上傷付きたくないんだ。努力して得た経験より、それが実らなかった無力感の方が、強く心に根付いてしまっているから。

なんとなく、ここでポジティブに生きていける人と、そうでない人が別れるのかもしれない、と思う。

ここで「努力の経験」を強く心に刻んで生きていける人は、今度また同じ経験をしても、それを自分の大事な財産として受け入れ、前に進んでいける。無力感もないわけではないけど、でもやれるだけのことはやった!この経験は無駄じゃない!と自分を励まして、自信をつけていくことが出来る。そしてまた挑戦をして、それが実って、今度は成功体験として自分の中に残るのだ。それが、自己肯定感を上げていく。

ここで、実らなかった無力感の方にばかり目を向けてしまう人は、私と同じくネガティブな性質の人間なのかもしれない。とにかくその無力感だけが頭の中に残ってしまっているので、何かに挑戦したい、という気持ちがすり減る。挑戦することがなければ成功することもないので、勿論自分に自信はつかない。

それでも何とか勇気を出して挑戦をして、また失敗した時なんか目も当てられない。ただでさえ少なかった自分への自信がさらに減って、もうぺっしゃんこになってしまう。

周りの人間が全員、自分より先に進んでいるように思える。実際、そうなのかもしれない。皆、何かに挑戦をして、それに失敗したり成功したりして、いつの間にか大人になっている。

自己肯定感が欲しい。

重い責任の伴う仕事をしているのに給料安くて、社会人9年ぐらいやってるのに人間関係で追い詰められて病気になって、結婚も出産もしてなくて、休日だというのにこんなネガティブなブログの記事を書いている自分を、受け入れて肯定出来るような、自信が欲しい。

他人と自分を比べて死にたくなったり、他人を羨んで嫉妬の感情を抱いたり、そんなことはもうやめたい。

だから、自己肯定感が欲しい。お金で買えるなら買いたい。そういう薬があるなら今すぐ飲みたい。傷付くことなく、それを手に入れたい。

もしかして、本当は自己肯定感なんて存在しないんじゃないのか?

みんな、口当たりのいい言葉を発しているだけで、本当は自分に自信なんかなくて、辛くて苦しくて、閉塞感に頭がおかしくなりそうになっているのは同じなのではないか?人間はそうやって生きていくもので、人が他人に見せている姿というものは、全てその人自身が作り出した「見栄えのいい自分」なのではないか?

なんとなく、そうあって欲しいと思う。本当はみんな偽物なんだと思えば、自分がどんなにネガティブで嫉妬深くて自分に自信がなくて最低でも、自分だけが劣っていて置いて行かれているのだと思わなくて済む。

SNSが発達したことで、今は昔よりも「他人」というものを強く認識せざるを得ない時代に突入してると思う。

SNSを見れば、誰もが顔可愛くて痩せててブランドもの持ちまくりで恋人いまくりで生活充実しまくりに見える。皆がSNSで発信するその情報は、真実かもしれないし虚像かもしれない。どっちかは分からないけど、その真偽よりも、それを見た際に発生する自分へのダメージがすごい。

自己肯定感は、簡単に身に着かない。コンビニにも売ってないし、そういう薬もない。

だから、もういっそ全部偽物だと思った方が心の健康にいいのかもしれない。世の中は全部偽物だと思っても、給料は上がらないし顔は可愛くならないし痩せないし結婚も出産も出来ないけど、なんだかちょっとは心が軽くなる。

偽物だ!ってわざわざ言いに行くんじゃなくて、心の中で思う感じ。「ま、この世の全ては虚像だし、人間はいつか死ぬし、宇宙は広大で終わりがないしな…」って思う。

諦めてるだけじゃん!って思われるかもしれないけど、人生百年時代~年金とか老後の保障はあるか分かりま編~に突入してきてるわけだから、そうやって力を抜く術を持つことも許して欲しい。

結局、自己肯定感を上げる方法は分からない、ということでした!如何でしたでしょうか?(調べてみましたブログ文法)

ポジティブな人、そのまま元気に、様々な経験をして成功して、明るく世の中を照らしてください。

ネガティブな人、私もマジで毎日本当にきっち~~~~し将来に不安しかないしマジで五千兆円欲しいし最近急激に気温低くなってテン下げだし無限に頭痛いし帰宅して上着脱ぐ前に酒飲むのやめられないけど、とりあえず生きよう。

生きてればいいことある、なんて無責任なことは言いません。ただ、ネガティブな人が私以外にもいるって勝手に仲間意識持って満足したいので、あなたも生きててください。

でも、こんなこと言っておいて、いざ自己肯定感上げる薬と五千兆円を並べられたら、普通に五千兆円選んでしまうかもしれない。

ま、でも人間ってそんなもん。そういう考えでも、いいよね~!!!!

おしまい!

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