みんなー!元気にオタク、やってるかーーーーい!?
オタクは何といっても身体が資本。何かを作ったり、どこかへ遠出したり、等身大パネルと暮らしたり、オタクはとにかく元気じゃないと何も始まらないです。
なのに
なのに
適応障害で休職することになったよーーー!!!!
※注意※このブログには所謂「理解のある彼くん」は登場しません。そういったものに嫌悪感のある方でも、安心して最後までお読みいただけます。
どうして、適応障害になったのか。
事の始まりは、今年の春でした。
私は数年勤めていた部署から異動することになり、春から新しい部署で働くことになりました。正直、数年働いた部署に対する愛着はかなりあって、送り出してもらう時も後ろ髪引かれまくりでした。
ですが、そこは社会人もそろそろ十年目にさしかかろうとする大人ですから、気持ちを切り替えて、新しい部署でも頑張ろう!と意気込んでいました。
同じ会社の系列とは言え、部署が違えば細かいやり方の違いがたくさんあります。「前の部署ではこうだったので!」と強行突破をする人もいますが、郷に入っては郷に従え、が一番トラブルなくスムーズに進みます。周りの職員のやり方を見ながら、それを真似して新しい部署に慣れようと頑張りました。
そもそも、業界全体が前時代的だった。
私は、女の職場以外で働いたことがないので、他の職場のことは知りませんが、女の職場は基本「気遣い」と「仕事が出来る」のどちらもを満たしていないと、人権が保障されません。
よって、仕事も「先輩や同僚の時間を邪魔して教えてもらうのではなく、見て覚えるのが美徳」とされる風潮があります。
異動先の直属の上司も例に漏れず、私が分からないながらに仕事をしていると「すみません、それ間違ってるんで(何故かめちゃくちゃ早口)(オタクか?)」と横から仕事を取り上げられたりしました。
私が「出来るようになりたいので、仕事を教えてもらえませんか?」と言ってみると、ウソやん?ってぐらいのバカデカ溜息をつかれ「あー…はっ(ここで何故か呆れ笑い)もういいです。こっちでやるんで笑」と返されたりしました。
いや、パワハラとか色々厳しいこのご時世に、このタイプは逆に希少種!?!?!
この上司は、よくいる「最初から何でも一人で出来てしまうタイプ」の人間で、私のように教えて貰わないと分からなかったり、ミスをしたりする人間に対する理解がありませんでした。「こんな簡単なこと、どうして出来ないの!?」と、素で思ってしまうタイプです。つまり、間違いなくマネジメント業務には向いていない人種です。
私の勤めている業界は、その職員の適正に関係なく、年功序列で役職がついていく、という昭和すか?なやり方を令和の世でも頑なに改めないタイプの業界でした。
ですので、部下を従え、適切に仕事を与えてチームを動かしていくマネジメント業務に、まっったく適正のない人でも、勤続年数や経験年数が長ければ関係なくそのポジションを任されてしまう、というとんでもない状態が平然と行われているのです。
正直、この時点での私は「ったく…まぁためんどくさそうな女に引っかかっちまったな…笑」って感じの、TLコミックに出てくるヤレヤレ系イケメンみたいな感じで、そんなに重く考えていませんでした。私もこの業界長いし、何より社会人経験も長いし、頑張れるはず。そう、思っていたのです。
そして始まる、パワハラの日々。
朝、出勤をして挨拶をする。無視される。
仕事をやる。別のところへ行って戻ると、それらが全てやり直されている。注意や、指導はなし。
分からないこと、確認しなければ進めないことを聞く。バカデカ溜息と、話しかけんなオーラ丸出しの高速タイピングのコンボ技で「なんですか?」と呆れ笑いのようなものを返される。
前の部署では、数年勤めたおかげもあり、重要な仕事を任されていました。ですが、異動先のここでやらされるのは、トイレ掃除や、洗濯。その他雑用。
トイレ掃除や洗濯や雑用も、立派な仕事であるのは分かっています。ですが、前の部署ではバリバリに色々な案件をこなして評価されていたのに、その経験はここでは活かされず、自分のキャリアが緩やかに退化していっているのが、肌で感じられました。
本社に人に相談もしてみました。担当の人はにこやかな笑みを浮かべて「まだ始まって一週間じゃない。」「まだまだこれからよ。」「もうちょっと頑張ってみよ!」と言うだけ。ここら辺で「あ、もしかして、結構、ヤバいかも。」と思いました。
決定的な瞬間が起こったのは、それから数か月が経過した頃でした。私はいつものように電車に乗り、職場の最寄り駅に行きます。駅を出て、いつもの道を歩いて、職場まで、
職場
職場、まで、
ここで私は、周りが見たこともない景色になっていることに気付きました。数か月通っていた職場に、いつも通りに行くだけなのに、私は道に迷い、迷子になってしまったのです。これがきっかけとなり、 私は「適応障害」の診断書を貰い、休職をすることになりました。
休職の始まりと「休む」ということへの罪悪感
実は、最初のうちは「やったー!仕事に行かなくていい!あの人に会わなくていい!自由だー!映画やアニメとかドラマ、いっぱい見ちゃうもんねー!」と息巻いていました。
ですが朝を迎えると、自分が全然そんなことが出来る状況ではない、ということに気付きました。
まず、仕事でもないのとても早く目覚めます。水を飲んだりはしますが「動いてもいないのに、食べるのもな…」と思い、食事は食べる気になりませんでした。
テレビをつけると、そこには朝早くからアナウンサーの仕事をする女性や、天気予報士の仕事をする男性や、様々な仕事をしている人が映っています。なんとなく、心がざわざわとしてテレビを消しました。
スマホを見ます。私のことを心配した友人たちから、メッセージが来ています。このご時世で、医療従事者として頑張っている友人。結婚して、やりたい仕事にチャレンジして頑張っている友人。大変な福祉の仕事に就きながら、毎日職務をこなしている友人。みんなが私に聞きます。
「大丈夫?」
「無理しないでね。」
それに対して、ありがとう、とメッセージを返します。
外に出れば、若いころに沢山働いて今は引退したであろう散歩を楽しむ老人や、結婚出産をして赤ちゃんの面倒を見ている女性や、忙しそうに仕事の電話をしながら歩く男性がいます。コンビニに入れば、若い外国人従業員が、日本語を使いこなして接客をしています。
私だけが、この世界で何もしていませんでした。
「何もしていない人」と自分をカテゴライズしてしまう。
みんな、何かをしています。仕事だったり、結婚出産だったり。
ですが今の私は、結婚出産はおろか、仕事もしていません。休職、という形なので完全な無職ではないとは言え、今の私は間違いなく“何もしていない人”でした。
家に帰って、テレビをつけて、映画でも見て気を紛らわせようとします。でも、何も頭に入ってきません。大好きだったたくさんの趣味を、楽しむ力も失っていました。
家族に「病気であること」を、打ち明けられない。
私は、医師の指示のもと、とにかく睡眠をとることにしました。それは、上記のようなメンタルであった私には好都合でした。起きていると、余計なことばかり考えてしまうのです。そしてその思考の末にいつもあるのは、長めの手ぬぐいとドアノブでした。かなり、ギリギリの状態だったと思います。
私は、私の人生のあらゆる道は既に塞がれており、これを突破して“人並みの幸せ”を手にすることなど、最早不可能なのだと、そう考えるようになっていました。
こういった状態にあることを、私は両親や妹など、家族に伝えることが出来ないでいました。赤の他人のTwitterのフォロワーには話せるのに、身内には言えないなんて、変な話ですよね。
とにかく、心配をかけたくありませんでした。そして何より「失望」されたくなかった。
こんな自分を、家族に知られたくなかった。出来た娘ではないけれど、まだ孫の顔も見せてやれないような娘だけど、それでも家族の前では、仕事して趣味を楽しんで幸せに生きている自分でいたかった。
もし、私が妹で、妹が姉だったならば、私はすぐに相談していたと思います。ですが、私の中にある「姉は妹に弱みなど見せてはいけない」という、くだらないプライドが私を縛り付けていたのです。
家族関係に恵まれていたことが、とにかく救いだった。
休職して一か月が過ぎようかという時です。妹が私の家に遊びに来て、一緒に映画を見ていました。私は、チャンスは今しかない、と思いました。
そして、勇気を出して妹に自分の現状を告白したのです。
妹は「どうしてもっと早く言ってくれなかったの?」とは言いましたが、それは責めの一言ではなく「もっと早く力になりたかった」という意味での言葉でした。
普通の人たちは、嫌なことを言われたり、されたりしても、受け流したり気持ちを切り替えて頑張っている。なのに、私はそれが出来ない。みんなみたいにちゃんと出来ない。
私は抱えていた気持ちを、全て妹に打ち明けました。すると、妹はこう言ったのです。
「みんなって誰?道歩いてる人や、お店の人、知り合いでもないのに、どうしてその人たちがちゃんとしてるなんて、分かるの?友だちだって、言わないだけで全然ちゃんとしてないかもしれないじゃん。てか、人間って基本的にみんな、ちゃんとしてないよ。私だって、この前ブランドバッグ買ったせいで生活ヤバくなって、親にお金借りたし。」
え?お前そんなことしてたん?
まあブランドバッグの件はさておき…私は、妹がこんなにも人生観的なものをしっかりと話せることに驚きました。なんか、姉の私なんかよりも大人に見えます。親に金借りてるけど…
「姉だから妹を頼れない」と思っていた私はきっと心のどこかで妹を、いつまでも小学生だったあの頃で止めてしまっていたんだと思います。妹だって、働いて一人暮らししている、立派な大人なのにね。親に金借りてるけど。
こうして、妹に打ち明けることが出来た私は、それから何かある度に妹に話を聞いてもらうようになりました。次の日も仕事なのに、待ち合わせの駅のところで「おつー!」と、笑顔で手を振って駆けつけてくれた妹のこと、ずっと忘れないと思います。
適応障害の娘と、その親。
それから、肝心の親への相談ですが、これに関しては私は最後まで自分から打ち明けることは出来ませんでした。
では、どうなったのかと言いますと「私の些細な異変に気付いた親に指摘され、それで打ち明けることになった」のです。
私は、親に何も話していませんでした。一週間に一度ちょっとメッセージのやり取りをする程度で、ゴールデンウイークに会った時ですら、仕事のことや上司のことも話しませんでした。
ですが、母親が「あのね…もしかしてだけど、仕事で何かあった?話したくないかもしれないけど、心配だから…」とメッセージを送って来たのです。
私は妹経由で母親に伝わったのかと思いましたが、そういうわけではありませんでした。妹は「まだ親には言えない」と言う私の気持ちを尊重し、親には言わないでいてくれたのです。なので、母親が気付いたのは、まさに親の勘というものでした。
親と電話をして、私はこの歳にしては情けないレベルで大泣きをして、自分の状況を伝えました。そして、通院や本社面談の合間を縫って実家に帰り、特に何もせず、ただゆっくり過ごしました。相変わらず朝早く起きて、薬を飲まないと夜は一睡もできない状態で、食事もほとんど出来ませんでしたが、親は寄り添ってくれました。
「自分はちゃんとしてないって言うけど、お母さんは、あなたがいてくれるだけでいいから、ちゃんとしてても、してなくても、関係ないよ。」
お母さん…
「そうだよ。自分が悪いって思いすぎなんだ。お父さんは、正直ぶっちゃけると自分が悪いって思ったことは人生で一回もないから、元気だよ。」
いや、それはどうなんだ父よ。
こうして、私は両親にも自分の状況を打ち明けることが出来ました。そうして休職は三か月にわたり、私は最終的に転職しました。
休職、退職、転職、そしてこれから。
今、また同じ業界で働いています。病院にも通い続けているし、相変わらず夜は薬がないと不安で眠れません。食事の量は戻りつつありますが、まだ一日一食と少し、という生活が続いています。
心の病気は、完全に治るまでには何年もかかると言われています。再発率も高いですし、もしかすると一生治らないかもしれません。
ですが、私の場合は周りの人にとても恵まれていました。ちょくちょく様子を見に来てくれた友人、毎日メッセージのやり取りをして、休みの度に会いに来てくれた友人。何より、心の病気や、私の性格に理解を示し、寄り添ってくれた家族。
所謂、理解のある彼くんはいませんでしたが(笑)それ以外の全てに、私は恵まれていました。
今、悩み苦しんでいる人へ。
このブログを読んでいる人で、今まさに辛い状況にいて、病気に心を蝕まれている人もいると思います。
大丈夫。周りの人を頼って。あたなは悪くないよ。生きていれば大丈夫。仕事なんて他にもあるから、辞めてもいいんだよ。辛かったら逃げていいよ。
なんて、そんなありきたりな慰めの言葉がなんの助けにもならない、ということは、病気になった私が一番よく分かっています。
大丈夫じゃねぇよ!
周りの人を頼って迷惑かけて嫌われたくないから、頼れねぇよ!
生きているから今こんなに辛いんだろうが!なにが生きてれば大丈夫だ!
仕事なんて他にもあるっつっても、退職の手続きとか転職の準備とか、そういう気力があるような状態じゃね~んだよ!それに、次の仕事先がいいとことは限らねぇだろうが!!!
辛かったら逃げろって簡単に言うけどな!!逃げた先の衣食住の保証もしてくれないくせに、簡単にそんなこと言うんじゃね~~~~~~~~~~!!!!!
ね、そう思うでしょ?(笑)
だからね、まぁまずは病院に行って、医師の指導のもとでちゃんと薬を飲んで、夜眠れるようになりましょう。
とにもかくにも、医者です。適応障害や鬱は、病気です。素人がどうこうするものではないので、普通に医療機関に行ってください。
友人や家族に迷惑をかけたくなくて悩みを話せなくても、医者は金を払っている相手であり、友人などではないので(暴論)どんな悩みも迷惑とか気にせず話しちゃいましょう。
それからは、その医者と一緒に進んでいきましょう。
以上は、ある一人の一例でしかありません。
この記事は、多くある内の一つの経験談であり、なおかつ周囲の人間に恵まれていた場合の話です。参考にする必要はありません。私だって、偉そうにブログ書いてるけど、再発してまた仕事辞めて実家戻って、引きこもりになるかもしれないし。
だから、自分を他の誰とも比べず、医療機関を適切に利用して、生きていきましょう。
生きてたって何もいいことなんかない!って思う時もありますけど、まあ生きてたらこうしてブラピと会って投げキス貰ってツーショ撮れたりもするんで!人生、まさかの連続だね!笑
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。面白い話ではありませんでしたが、どこかの誰かの心にちょっとでも響けばいいな、なんて思います。
オタクは身体が資本!みんなも、何かあったらすぐに病院行って、元気オタクとして世にはばかってやろ~ぜ!!!!
完!!!!!
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